すごいですね。有田。
伝統的建造物群保存地区ですが、外側だけ…建物だけが残っているテーマパークみたいなところではなく、人が住んで暮らしている生きた街です。
ご商売してらっしゃる店舗だけではなく、普通の民家と思われる住居にも、この磁器製の六角形のプレートがついていました。
よそ様のお家をあまりじろじろ見るのは申し訳ないと思いながらも、ついつい「いつの時代?」と目が行ってしまいます。
町並みを保存するための公の制度があるそうですが、住んでいる方の賛同、ご協力がないと維持できないですよね。生活してるんですから。
たまに訪れて「すごーい」と言って帰って行くだけの観光客には見えない諸々のことも考えながら街歩きをしました。
有田町のホームページによると、この地域には、伝統的建造物が163軒、石造物やトンバイ塀(窯の耐火レンガの廃材を使用した塀)などの環境物件が130軒あるそうです。
佐賀県のホームページによると……
1828年(シーボルト事件があった年)の大火で街のほとんどがやけてしまいました。その後、1859年(安政の大獄があった年)の街絵図で、現在と同じぐらいの街の規模にまで復興していることがわかっているようです。(なお、天保は1830~1844年)
時代が下がり、洋風建築が増え、昭和初期の道路拡張の改築などで、今の町並み……和風の町家や洋風建築が混在した変化に富んだ景観……となったそうです。
そんな年代の変化を感じられる街が有田町にはありました。