重い話
第二次世界大戦中、この地に宇佐海軍航空隊が練習用航空隊として開隊されたそうです。その後、太平洋戦争が始まり、掩体壕も作られ始めます。
この上部を覆われたタイプの掩体壕は、終戦の年(昭和20年)の1月から作られたようです(現在10基残ってるらしい)。
掩体壕だとバレぬよう、土を盛り上に草を生やしてあります。
しかし、米軍の撮影した当時の航空写真には掩体壕がはっきり写っていて、意味が無かったようですね。
航空隊を狙ってでしょうか、3月からは何度も空襲があり(計10回か?)、すさまじい爆撃で多くの人々が亡くなっているそうです。
近くの小学校の塀に残っている銃弾跡、爆撃でできた池を見てきました。
この終戦の年の4月6日~5月11日までの間に、宇佐海軍航空隊からは81機が特攻出撃。計154名もの20歳前後の方々が犠牲になったそうです。
この時使われた特攻機が「桜花」。
別名「人間爆弾」。
1.2トンの爆弾に木製の翼を装備し、エンジンも着陸のためのタイヤもありません。攻撃機にぶら下がって目標間近まで運ばれ、切り落とされ、ロケット推進力で加速して体当たりで突っ込むだけの兵器です。「逃げることは許されない。死んでこい」というばかりの兵器です。
厳しい戦時中でも、ささやかな夢や希望をもって生きていた彼ら。
彼らの奪われた未来。
息子を兄弟を孫を消耗品として扱われた家族の思い。
その慟哭。
時間が経ったからといって消えるとは思えません。
………
戦争をできるようにしようという声が聞こえると、思います。
それ、誰にさせるの?
誰を人殺しにさせるの?
誰に死んでこいって言うの?
その「誰か」は、顔の無い「誰か」ではないんです。
知らない「誰か」ではないんです。
………
掩体壕の近くには、特攻隊で犠牲になった154名の方々の名前が記された碑がありました。出身都道府県が書いてあり、全国各地から集められたと言うことが分かります。
爆弾の部品にされた方々の心残り、苦しみ、悲しみ、怒り、絶望……
「貴い犠牲」「勇気ある行動」なんていう言葉で美談にしてはいけない。
そう思います。
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参考資料
宇佐市ホームページ、宇佐市平和ミュージアムホームページ、宇佐空の里展示物、宇佐市平和資料館パンフレット、城井一号掩体壕掲示物、大分県ホームページ、ウィキペディア、コトバンク、ほか