2日かけて萩から山口まで歩きました。
計37kmぐらい。13時間強かな? 時速3km弱ですね。上り坂も多かったし、ほどよいペースだったのでは無いでしょうか「頑張ったら防府まで歩けた(はず)!」という余力を残して終わりました。
前回歩いた防府→山口とつなげると(56kmぐらい?)、3日かけて歩いたことになります。1日で萩→防府を踏破できる人もいますが、さすがにそれは無理かな?
さて、萩往還には御茶屋(藩主や重要な御客様が宿泊する施設)が3ヶ所(佐々並、山口、防府)あります。丁度、ねこさんの1日で歩いた距離毎です。
実際の参勤交代でも、エッチラオッチラ歩いて、その3ヶ所に泊まったんだろうな~と、当時を思いながら歩いたんですよ。よーし、負けらんないぞーって。
したっけ・・・・・・
復路の詳しい話を見つけることはできませんでしたが、往路は、山口県文章館「参勤交代の記録を読む」で調べられました。あと、防府の英雲荘にも電話をかけて確認できました。
それによると、萩藩参勤交代の一般的な日程では山口で一泊。そして防府の三田尻では「支藩からの使者や近辺に知行地を持つ藩臣への御目見などで一~二泊」したようです。
1737年の参勤交代の記録によると、午前8時に萩発。お昼は佐々並で食べて、午後5時に山口市の御茶屋に到着。翌日午前八時半前に出発し、午後1時頃防府の御茶屋に入ったようです。
えええ!!!!
時速4km強!? 休息休憩入れたことを考えると、もっと速いよね!?
参勤交代は草鞋に着物に帯刀して荷物もって、おまけに今より悪路だったでしょう?
なのに、アウトドアグッズの恩恵を受け、文明の利器で整備された道を進んだねこさんより早歩き!? 坂道結構きつかったよ!
草鞋の方が歩きやすいってこと!?←いや、違うでしょ。
東海道中膝栗毛によると、弥次喜多も1日30~40kmぐらい歩いているようです。
江戸時代すげー!
やっぱ、草鞋の方が歩きやすいってこと!?←いや、違うでしょ。(2度目)
あまり休憩しないで歩いたのかな?
休憩所に着いたらお湯沸かしてお茶点てて一服して・・・って思ってたけど、違うのかな?
ちょっとしか休まなかったのなら、先頭が「よし、十分休んだ! 行くか!」となったとき、後方はまだ着いてないってことありそう。参勤交代の人数、多いときで1600人ぐらいだったらしいので。
トイレ、復元された場所では1ヶ所に2つしかなかったんですけど、実際はもっとあった? 千人規模なら、足りないよね。
参勤交代、大変だったろうな。
でも、そういうので筋肉や根性が育ったり、長距離移動の極意が身についたりしたのか?
参勤交代の移動が大変だった藩と、そうでない藩との違いが、幕末の混乱期の機動力の差になったってことあるのかな?
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おまけ
山口市街地を歩いていて、見かけた案内標識
「山口サビエル記念聖堂」があるようです。
アイコンは教会か。
山口では「ザビエル」でなくて「サビエル」なんだね。
出身地では「シャビエル」らしい。
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2023年は今日が最後の更新です。
萩往還まとめまで描けなかったー(>_<)
今年もお世話になりました。
来年もよろしくお願い致します。
よいお年をお迎え下さい。