どさんこ九州に住む

北海道民が九州に移住。日々感じるカルチャーショックを4コマにしました

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4コマ「九州と本州の狭間には」(下)※4月27日15:25修正

前回の続き





壇ノ浦の戦いが行われた関門海峡ですが、なんと、近くには巌流島もあります。

この本州と九州に挟まれた潮の流れが急な海域には、雌雄を決する舞台になるような何かがあるのでしょうか。


武蔵と小次郎の巌流島の決闘は、1612年に行われたようです。

 

その巌流島ですが、正式名は「舟島」です。
広さは103000㎡(東京ドーム約2個分)ですが、当時は現在の6分の1ぐらいの細長い小島でした(広くなったのは明治以降の埋め立て工事のため)。

今は無人ですが、戦後~昭和43年までは人が住んでいたようです。
それ以前の戦前~戦中は、軍の要塞地域に入っていたらしく、カメラを向けることさえできなかった時期があったようです。そのさらに前はコレラ患者の為の施設があったそうです。

 

島の3分の2ぐらいの範囲は私有地のため立ち入り禁止です。
入れる場所は埋め立て前の島と重なっている部分が多いです。散策路が整備してあり、のんびり散歩するのにいい感じがします。ただ散歩するだけでしたら、1時間かからないで見るべきものは見終わるんじゃないかと思います。

小次郎の弟子達が、対岸の彦島(下関側)から決闘の行方を見守っていたようです(弟子待町という場所)。武蔵&小次郎像のある場所で決闘したとして、ネットの距離を測るページで測ったところ、600m弱ぐらい?
600m先か……見えたのかな? 目、いいな。

 

現在無人の巌流島ですが、いつの頃からかタヌキが住み着いているらしいです。

小次郎の弟子が待っていた彦島から渡ってきたのではないかと言われているようで「巌流必勝タヌキ」って、パンフレットに書いてありました。
残念。会えなかった。

 

※ひとコマ目のトンネルの位置が違っていたので、修正しました4月27日PM15:25

 

おまけ

渡船に乗る前の出来事

巌流島行きではないほうが、巌流島色が強かったので、一瞬「間違ってないよね? こっちに乗っていいんだよね?」って思いました。