前回に引き続き鉄輪散策
の~んびりと、湯気を眺めながら散策していました。
けど、よく考えると、人が住まない山の中でも郊外でもない場所、都市の中に温泉の噴気がそこかしこで噴き出ているってすごいなと思います。
アスファルトのちっちゃな割れ目から、硫黄のにおいがする蒸気が出ているのを見つけた時、特にそう感じました。
※お湯から立ち上る湯気ではなく、温泉の噴気? 蒸気?に感じた。
離れているところから引いてきているのではなく、地中の奥深くから引っ張ってきているのではなく、今立っている足元、アスファルトを隔てた下にそういう「熱っちっち」の場所があるってことじゃないかと。
(ひょっとしたら、配管にひびが入ったとか、そういうのかもしれませんが…)
ネットで調べたところ、別府の数千メートル下には熱水だまりというマグマの熱で熱くなった高温高圧の場所(250℃~300℃)があるらしく、雨水がそこに触れ、再び地表に噴き出して、温泉になっているようです。
その時、通る場所にある成分によって、異なる性質の温泉になるようですね。
ちなみに、降った雨水が温泉になって噴き出すまでの周期、別府では約50年らしいですよ。
別府温泉が文献に出てきたのは8世紀前半に編集された「伊予国風土記」や「豊後風土記」のようです。
(参考…別府市ホームページ)
また、いつの時代の事なのか分かりませんが、鉄輪のあたりは、田畑の中に熱湯や蒸気が噴き出したり、ため池に温泉が流れ込んだり、牛や馬が死んだり(硫化水素が発生した?)して村人が大層苦しんでいたそうです。
噴気や熱湯で岩石が粘土化(温泉余土という)したりもするらしいですね。
(参考…別府温泉地球博物館)
「お湯が沸いてる~ 温泉だ~ ラッキー!」と喜ぶ範囲を超えた土地だったようです。
鎌倉時代の頃、一遍上人が噴気や熱湯が噴出する荒れ果てた場所「地獄」を鎮めたと伝えられています。
その時、蒸し湯などの湯治場を作ったようです。
その後、江戸時代にはすでに温泉地として賑わっていたみたいです。
明治時代でも、このあたり一体は「地獄原(じごくばる)」と呼ばれ、粘土質の土地で、どこを掘っても噴気があがっていたようです。
(参考…ウィキペディア)
アスファルトの下が地獄状態なのかどうかはわからないです。
見えないから。
でも、間違いなく、苦労した先人達がいて、工夫した先人達がいて、人と温泉が隣り合って暮らしていけるようになったのでしょう。
気軽に温泉に入れるって幸せ~
ありがたい話です。
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硫黄山
ウィキペディアによると、日本には10ヶ所ほど「いおうざん」「いおうやま」と呼ばれる場所があるようです。
ねこさんが知っているのは、北海道弟子屈町にある硫黄山。
登山しなくても行ける場所。
ちょっとそこらでは見られない風景が見られる。
でもね、ここは地図で「硫黄山」って探しても出てこないと思う。
地図には「アトサヌプリ」って書いてあるんだよ。
けどね、地元の人に「アトサヌプリ」ってどこですか? って聞かれてもわかんないと思う。
みんな、「硫黄山」って呼んでいるからね。
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明日も大分県に関係する話~