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「甕棺概略」
甕棺とは、素焼きの棺桶です。
二つの甕を合わせ、粘土で合わせ目を塞ぐ「合わせ口甕棺」と、平たい石などで口を塞いだ「単棺」があります。
子ども用の甕棺や、大人の骨だけを改めて甕に収める再葬という形での甕棺利用は他の地域でも見られるようです。しかし、大人が余裕で入るような巨大な甕棺は、北部九州独特のとのことです。海外でも、大人用は韓国と中国の一部だけでしか発見されていないようですね。
このような話を聞くと、九州は独自の文化が発展していたんだなって思います。
吉野ヶ里遺跡では、既に三千を超える甕棺が発見されています。この丘陵全体では、一万五千を越える数の甕棺が埋まっているのではないかと予想されています。甕棺墓以外の埋葬方法も四百以上見つかっているそうです。
すごい数です。
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「甕棺墓列」
ここの甕棺墓列ですが、およそ600mに渡り、二列になって南北方向に並んでいます。なぜ2列になっているのかは不明だそうです。
分布を細かく分析すると、20~40mごとに一塊になっており、血縁関係のある一族の集まりではないかと考えられているみたいですね。
小さい甕棺がたくさんありました。子どもが大人になるって奇跡のような時代だったのでしょう。この小さな甕棺を埋めざるを得なかった人の気持ちを考えると、胸が痛くなります。
ここは、弥生人の髪の毛が国内で発見された唯一の場所でもあります。頭骨に髪の毛がくっついていたので、当時の成人男性のヘアスタイルが「みずら(耳のあたりで束ねて巻かれた髪型)」ということが分かったようです。
また、頭の無い人骨も発見されており、争いがあったことが想像されます。
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「土まんじゅう」
埋めた甕棺の上には「土まんじゅう」があります。
甕棺を埋めると、容積だけ土が余ります。それを上に盛り上げたもののようです。
やがて甕棺が割れたりなんだりして、土まんじゅうが小さくなったり、場合によっては陥没したりするようです。
吉野ヶ里遺跡では、甕棺が埋められていた様子だけではなく、土まんじゅうも復元されていました。
そうか、ああやって土まんじゅうが並んでいたんだ・・・・と眺めている足元をよく見ると盛り上がってる・・・? しかも一つ二つでは無い盛り上がりが芝生のあちこちに・・・。
え!? ねこさん、墓列の上に立ってる!?
この芝生の盛り上がりは、たまたま地面が盛り上がっているのか、土まんじゅうの復元なのか気になって、吉野ヶ里遺跡公園の研究者の方に尋ねてみました。
※現場で「この下どうなってんの?」と尋ねたわけではないので、聞き間違いがあったらごめんなさいです。
すると、「芝生の下にまだ埋まってます」というお返事が・・・!
3コマ目の復元された土まんじゅうの下は掘り起こしているらしいです。
しかし、4コマ目の芝生の下から発見された墓列全てを彫り上げたわけではないみたい。
埋め戻して、この下に甕棺あるよというポイントとして土を盛っているようなんです。
て、ことは、ねこさんが立っていた芝生の下にもまだ甕棺が眠っている可能性高い!?
さらに、4コマ目のねこさんのずっと後方、木々に近い方は、遺跡保存のため、発掘を行わず、地中レーダー探査で甕棺の位置を調査をしただけのようです。
掘り起こしたら劣化が進むので、後世の為に残しているとのことでした。
吉野ヶ里遺跡は、「掘り起こしちゃってレプリカばかり」ではなく、「まだそこに本物が眠っている」遺跡なのです。
↑甕棺墓列をアップして見ると、集合体恐怖症の方は「うおおお(;゚ロ゚)」ってなるかも?
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甕棺についていろいろ教えていただきました。
もう、頭の中は甕棺だらけです。
それで、次回から3回は甕棺の話~。