どさんこ九州に住む

北海道民が九州に移住。日々感じるカルチャーショックを4コマにしました

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4コマ「吉野ヶ里遺跡公園」(1/6)~古代のロマン埋まってた! ▶蘇らせる? ▶封印する?

 

日本最大の弥生時代の遺跡がある「吉野ヶ里遺跡」。
紀元前5世紀~紀元3世紀(2500年前~1700年前)の、ムラからクニへ発展していく過程が明らかになったすごい遺跡です。

 

この辺りの段丘には、他にもいくつかムラが集まっており、吉野ヶ里はその中心、ミヤコだったと考えられています。弥生時代後半には国内最大規模の環濠集落へと発展したそうです。

そんな吉野ヶ里ですが、やがて終焉の時を迎えます。
3世紀後半になるとクニとしての機能が失われ、人が住む集落から、埋葬の地へと変化していくのです。

なぜ、人々がこの地から離れていったのかははっきりしていないようです。

ただ、他の地域でも、弥生時代後半に、台地から平地へと生活の場が移っていったところがあります。低地のムラは川の氾濫に弱いです。しかし、何百年と氾濫を繰り返しているうちに、土砂の堆積が進み、平地もちょっと小高くなり、ムラを作れる場所が増えたことと関係があるかもしれません。

稲作の為には、平地の方が便利ですからね。

 

吉野ヶ里では、弥生時代以外の遺物も発見されています。石器時代のナイフとか、奈良時代の役所のような建物跡や街道跡などなど。ですが、それほど数は多くないようです。

 

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吉野ヶ里遺跡公園には、遺構の上に当時の物を復元している場所があります。この大規模な復元が魅力の一つでしょう。

全国の縄文~古墳時代の調査を基に、現行の建築関連法とすりあわせて再現したようです。

どの建物も立派です。当時、人力で建てたと考えると、すごい国力ですね。もし、自分が作ると考えると・・・・・・竪穴住居ですら、簡単に作れるように思えません。

 

環濠や高い柵に覆われた地域もあります。また、逆茂木と呼ばれる侵入を防ぐ為に先をとんがらかせた杭でバリケードを作った場所もあります。

こういった敵を想定した装備が必要ということは、周辺のクニとの諍いがあったのでしょう。そういうことも、復元から想像できます。

 

当時の物ではなく現代の技術で復元したものではありますが、実際に建物などの規模や位置関係、環濠の大きさなどを目の当たりにできることで、この遺跡の背景などが想像しやすくなります。

レプリカだけではなく、北墳丘墓という場所のように、遺構面と甕棺(焼き物で作った棺)の本物展示をしている場所もあります。

 

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遺跡が発見された場合、その遺跡を保存する技術と、その価値を分かりやすく伝える技術とが必要になります。

吉野ヶ里遺跡も、当時を再現するだけではなく、埋め戻したり、屋根や囲いで覆ったり、特殊な樹脂を含ませるなどして遺構を保存しています。

 

古い時代の物が発見されたというと、形あるものだけに注目しがちです。例えば土器とか石器とか。それを露わにして調べるためにも、周囲の土などを取り除くと思うのですが、それらにも情報が混じっていることもあります。例えば、石器を作るときに飛び散った小さな破片があるかもしれません。その場所がどんな場所だったのか土を調べたら分かるかもしれません。

古代の手がかりは、埋まっている有形の物だけにあるとは限らないのですね。

 

また、今の技術では調べきれない事もあります。なので、あえて掘らずに残しておく場合もあります。掘り起こさないことで劣化を防ぎ、未来に託しているのです。

未来の科学技術で是非解明してもらいたいです。ワクワクしますね。

 

 

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YouTubeで、吉野ヶ里遺跡の発掘の様子「ナゾホルNEWS」が見られます。

土の色の違いによって遺構の見当を付けたり、土の色チャートでチェックしたりするみたいです。

土からも探れる古代のロマン。

考古学ってすごいなー。

www.youtube.com