福岡市博物館へ行くとき、最寄り地下鉄駅から外に出ると・・・
サザエさん通りが始まります。
(というか既に、この地下鉄駅自体がサザエさん一色だった)
そのサザエさん通りを歩いていると・・・・・・
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サザエさんは福岡生まれです。
作者の長谷川町子は、現在サザエさん通りがある辺りに住んでいて、海岸を散歩中に構想が生まれたそうです。それで、みなさん名前が海産物なんですね。
ひとコマ目の磯野広場は「サザエさん発案の地」となっています。当時の海岸線がこのあたりだったそうで、広場のデザインも磯をモチーフとしたものです。
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この広場に着く途中にある西南大学前に、サザエさんと作者の長谷川町子が内緒話をしているような銅像がありました。(大学が市に寄贈した像らしい)
そして磯野広場にサザエさん、カツオ、ワカメの3人の像。(なお、2コマ目のタマはシルエット像)
当然、他のメンバーの銅像もどこかにあるんだろうな・・・と、周りを注視しながら歩きます。ですが、無い。
何カ所かに立っているパネル的なシルエット像も、サザエ、カツオ、ワカメです。
あれ? タラちゃんは?
・・・テクテク、キョロキョロ・・・・・・テクテク・・・
・・・・・・テクテク・・・キョロキョロ・・・・・・
・・・・・・サザエさん通りの終点で、やっとタラちゃんのシルエット像が現れました。
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タラちゃんの出番が少ない理由を考えました。
サザエさんは、フクニチ新聞という福岡の新聞で連載されたのが始まりです。昭和21年のことです。
けど、途中で作者の長谷川町子さん一家が東京に引っ越すんですね。で、連載も一旦打ち切り。その最終話にサザエさんがお嫁に行く描写があります。
つまり、福岡時代に書いた話において、サザエさんは独身。
連載再開された後、話の舞台も東京に移ります。
(参照:ウィキペディア、福岡市早良区ホームページ、毎日放送MBSコラム)
だから、タラちゃんの銅像がないの?
広場の名前も「磯野」だしね。
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⇩多分、西南大学前にあった銅像のモデル。意地悪ばあさんはいなかったけど。
⇩磯野広場の銅像のモデルは多分これ。
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おまけ
サザエさん通りの突き当たりの広場からは海が眺められます。
3コマ目の左の方から、沖を眺めると、島が・・・・・・
・・・え? あれがひょっとして・・・!
福岡市博物館では「金印」も展示されています。