∞
寝太郎堰方面は自分で行ってきたのですが、この神社は山口県と島根県の一部で実施している「古地図を片手に、まちを歩こう 全38コース」の「厚狭の歴史に触れるガイドウォーク」で連れて行ってもらいました。
ガイドさんの卵の方も一緒だったからなのか、地域の歴史を研究している方も同行してくださるという大変おいしい一時を過ごさせていただきました。
∞∞
昭和14年は全国的にも雨の少ない年だったようです。特に西日本は、「未曾有の大旱魃」という記録が残っています。ただでさえ、厚狭が含まれる瀬戸内海式気候は夏の降水量が少ないことが特徴の一つです。旱魃の影響はもろに直撃したのでしょう。
その中で豊作だった寝太郎堰の受益地域。
寝太郎に対する感謝は並々ならぬ物だったという想像に難くはありません。
人々が生きてきた証。思い。
黙っていたら知る人もないまま消えてしまいます。
寝太郎も、祭る人がいたから言い伝えが残り、探す人がいたから像や記念碑が見つかったのでしょう。
消える前に、探る、伝える、残す。
その価値を改めて実感した「三年寝太郎巡り」でした。
⇩旱魃記念碑について詳しく書いてらっしゃいます。また、厚狭の寝太郎伝説についても深く掘り下げている記事が多々あり、今回のシリーズを書くにあたり参考にさせていただきました。
*広告
リンク