↓ 防府→山口のとき、こんな感じでスタートしてしまったので・・・
同じ轍を踏まないように強く決意。
日没までにたどり着けなかったら、今回は間違いなく暗い山の中を歩く羽目になるからね。
観光都市萩。歴史的な見所満載です。
萩城から唐樋札場跡まで2kmぐらい。30分ぐらいの距離ですね。歩くだけなら。
いや、いや、ちゃんと我慢しましたよ。我慢してちょっとしか寄りませんでしたよ。
萩の史跡は「毛利」と「維新」がたくさんでした。
同じ山口県内の防府より「維新色」が強い印象です。
往還の道沿いにはありませんが、多くの志士が育った松下村塾も萩にあります。
藩主のお膝元に維新の原動力が集まっていたという意味を考えたりします。
なんとなく、偉い人って「現状維持」「昨日と同じ明日」を好むように感じていましたが(偏見?)、萩藩(長州藩)は、そうではなかったということなんでしょう。
「難しいことは殿様が考えるだろう」「世の中の問題は上級武士がどうにかしてくれよ」という風土ではなかったのだろうなとも思います。武家の流れをくんだ農家や商家が多かったからという説に説得力を感じます。
↓八尾ノ厚狭さんのブログで明治維新に至るまでの背景について考察されています。
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捕捉
1コマ目「萩城跡」(萩城指月公園)
総面積約20万㎡。
毛利36万石の主城跡。
建物は解体されたが、城跡の構造がよく残っている。
また、石垣と堀の一部が当時のまま残っている。
2コマ目「旧厚狭毛利家萩屋敷長屋」
厚狭毛利家は毛利元就の5男が祖。
城門のすぐ近くにあるので、それだけ力があったんだろうなと思った。
現在、主屋は無くこの長屋だけ残っている。身分の高い者に対して用意された詰め所らしい。
3コマ目「萩ゆかりの維新の偉人の説明板やブロンズ像」
萩城から商店街の間に立っているようだ。
ネットでしらべたところ、2023年5月までにパネルを60本たてるという記事が見つかった。
残念。60本探す余裕は無かった。ブロンズ像は何体あったのかな?
なお、3コマ目は「山尾庸三」。長州ファイブの一人
長州ファイブについては、同じく八尾ノ厚狭吉さんのブログで↓
4コマ目「唐樋札場跡」
萩往還の起点
幕府や藩からのお触れを周知徹底する場所