どさんこ九州に住む

北海道民が九州に移住。日々感じるカルチャーショックを4コマにしました

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4コマ「久賀島にも行ってみた」~長崎後編(4/4)


久賀島(ひさかじま)

福江島から船で20分ぐらいで着きます。

島全体が世界文化遺産長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産のようです。

船に乗る前に、レンタカーなどについて尋ねられました。親切です。
交通期間が不便だと知らないで島に渡って、足が無くてどうしようってなったら大変ですもね。
島にタクシー会社さんはありますが、運転手さんを事前に確保する必要があるので、「渡ってから頼もう」というのは難しいそうです。

 

福江島の観光案内所で、
「浜脇教会までなら歩いていけるよ。元気な人は資料館(見学は予約が必要)まで行けるよ」
と、教えてもらいました。

それで、浜脇教会を目指しました。着いてみると、まだ時間があったので、進むことにしました。

そして着いたのが、牢屋の窄記念教会。

 

ここでいい時間になったので、戻ることにしました。

 

自分の足でせっせと歩いた観光も楽しかったです。

しかし、タクシーを予約して、もっと広くしっかり観光すれば、もっと良かったかもとも思いました。
もしくは、福江に戻るのを最終のフェリー(17:10)にすればよかったかな。

できれば、一泊して観光したかったです。

ついつい「折角行ったから!」と、足を伸ばしすぎてしまいますが(貧乏性)、1ヶ所をじっくり観光する方へチェンジしていこうって思いました。

福江島久賀島も中途半端になってしまったので、いつかまた行きたいと思います。

 

 

(この先、重い)

牢屋の窄記念教会

明治元年から始まったキリシタン弾圧の中でも、最も残酷な拷問が行われた場所に建てられた教会。

広さ12畳の牢に約200名が押し込められた。
排泄はその場で垂れ流し。亡くなった方もそのまま放置でウジがわき、そのウジに食われて亡くなる子もいた。
食事は朝夕にイモ一切れ。
立錐の余地のない牢内で、最初に無くなったのは小柄なお年寄り(圧死)。
牢に入れられた8ヶ月の間に42名が亡くなり、出た後に3名亡くなる。
亡くなった方のうち3分の1は子どもだったという。

 

……調べれば調べるほど、涙無しに読み進められなくなります。

 

五島のあちこちで非情な弾圧があったようですが、塩を作る集落では弾圧が無かったそうです。なぜなら、島の大産業の魚の干物を作るのに、塩が必要だから。弾圧して、塩を作る人手が減ったら困るから。
為政者の法令遵守の意識なんてそんなもん。本当にキリシタンが危険だと思っているのなら、お達しを守ろうと思っているのなら、塩が云々というのは二の次だったのではと思います。
その程度なのに、子どもにも容赦なく拷問しちゃう。

 

明治の話ですから、「うちのじいさんが」「ひいばあちゃんが」という方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

キリシタンの弾圧の話に対して「信仰を棄てればいい」って簡単に言う人がいます。
「信仰する」ことが身近では無くなった日本ではそういう意見もわかります。

多分ですが…
「〇〇国民でいることを禁じます。あなたは今日から△△国民です。〇〇国に関すること全てを禁止します。書籍などは破棄して下さい。言うこと聞かないと拷問します」と逮捕され強制収容所に入れられる。しかも、上っ面だけ△△国民になるんじゃ許してもらえない。心の底から△△国民にならないと駄目。
…そういうことと同じぐらいのことだったのではないでしょうか。

 

違うかもしれませんが、どちらにせよ、信じる対象が違うだけで、拷問されてもいいとはとても思えません。

 

弾圧「する」「しない」の線引きが「信仰する」「信仰しない」ではなく、他の価値観に向いたら? と思います。

外見とか、人種とか、性別とか、主義主張とか…。歴史を振り返っても、現代社会を見渡しても、絶対ないと言えないと思います。 
大義があったら、自分が大きい方のグループにいたら、相手にひどいことができちゃうんです。しちゃうんです。戦争だってそうです。

それこそが問題なのではないかと思います。

 

残虐な事件、残酷な行為が起きたときなど、自分がそこに含まれないようにカテゴリー分けを行い、意見を述べているなと思うことあります。
多分、無意識だと思いますけど。
ネットなどで、過剰な批判を目にしたときもそう感じます。

若い人が事件を起こせば、自分が含まれないような年齢で線を引き。
性別が違えば性別で線を引き。
外国で問題が起きれば、国で線を引き。

 

線引き自体が駄目だとは思わないです。
けど、批判、否定の矛先が行為の是非では無く、カテゴリーの方へ向いているってことはないだろうか。「これだから〇〇は(-_-;)」って。

そういうことで、自分はそっちの仲間じゃ無いという結論に満足する。
そういうことで、彼の者たちは、自分とは違うテリトリーにいるんだと安心する。

自分もついついそう考えて、ハッとする時あります。
それって、安全な立場に立って批判したいだけなんじゃないかって。

 

線引きしたい相手と自分の差、思っているより大きくないかも。

三者から見たら同じグループなのかも。

「今は」人道にもとることをしていない(つもりだ)けど、立場や環境が変わっても、弾圧側には立たないってはっきり言えるだらうか。
社会の価値観に変化があった時、今まで同じ集団だと思っていた相手に目の前で線を引かれないって言えるだろうか。

 

平戸でも五島でも、弾圧に関する資料を目にする度、そう自問しました。

 

悲しい歴史を繰り返さないよう、人として生きていく道を見失わないよう、自分が見た、もう声を出せぬ証人達を忘れてはいけないと思いました。

 

 

 

ちょっと、しんみりしてしまった(自分が)ので、船の話。

久賀島に渡るときに乗った船ですが

 



グラスボート(船底が窓になっている船)だったんですよ。

福江港に泊まっているときは魚が見られず、動いたら見られるかな! って思っていたら、すごい水流で(一緒に乗っていた若者達は「洗車場みたい」って言ってた)、魚は見られず。

港にいる間は水が緑に見えてましたが、動き出してちょっと経つと青くなりました。
そして、久賀島に近づくとまた緑色に。

港とそれ以外で水の色が違うのか、船のスピードで違う色に見えるのかわかりませんが、水流の変化を眺めるのも楽しかったです。

 

五島、楽しかったです。

「Go To Island!」。