どさんこ九州に住む

北海道民が九州に移住。日々感じるカルチャーショックを4コマにしました

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4コマ「平戸城下町散策、目的地はどこ?」~長崎前編(2/4)





平戸城下町は、山と海に挟まれ、U字型に広がっておりました。
名所がたくさんあったのですが、道が整備されており、順番に見て回りやすく、観光しやすかったです。

 

カスドース

平戸の郷土菓子。
四角く切ったカステラを卵黄にまぶし、それを糖蜜で揚げるように熱し、さらに砂糖をまぶしたお菓子。
ウィキペディアによると、平戸藩門外不出のお菓子だったようで、1845年にはすでに記録があったようです。
現在、2つのお店が作って販売しているようです。

4コマ目のハムハムの耳にちょっと隠れている黄色いのがそれです。

 

三浦按針(ウイリアム・アダムズ)

イギリス人 
関ヶ原の合戦のちょっと前に大分県に漂着
通訳もできるし船大工の経験もあるしで、家康にも重用された模様。旗本として取り立てられる。
家康の死後、幕府の鎖国政策やらなんだかんだでいろいろあって、立場が悪くなる、
平戸で死去。享年55歳。

 

 

さて、ねこさん一家が一服した「按針の館」ですが、「長崎旅ネット」によると「三浦按針の居宅跡といわれる、築300年の古い建物」となっていました。
と、いうことは、建物自体は三浦按針が住んでいた物そのまんまというわけではない? 平戸観光協会のホームページには「三浦按針が住んでいた場所」ってなってました。
そうか、建物は違うのか? それでも、築300年ってすごい!

何百年も本来の目的のまま使われている建物にも感動しますが(例…お寺)、そうではない建物が、資料館にも記念館にもならずに現在も使われてるっていうことにも感動します。

 

この按針の館ですが、現在は、「蔦屋」さんというお菓子屋さんが入っています。

このお店、創業1502年。長崎県最古のお菓子司らしいです。織田信長が1543年生まれらしいので、どれだけ古いかよくわかります。

 

三浦按針、どんな気持ちでここに住んでいたのでしょう。そんなことを考えながら一休みしました。