どさんこ九州に住む

北海道民が九州に移住。日々感じるカルチャーショックを4コマにしました

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4コマ「瀬戸内のハワイの名物料理」

 

前回の鯉さんの専用練習場を通り過ぎて向かった先が、瀬戸内では3番目に大きいこの島です。

usayusadosa.hatenablog.com

 

国土地理院的には「屋代島」という島です。
しかし、古代から(古事記日本書紀の国造り神話に出てくる)、「大島」と呼ばれており、実際「周防大島」という名称の方が認知度高いそうです(周防は、この辺の旧国名)。
国土地理院はなぜ「屋代島」って名付けたんでしょうね? 

 

この島ですが、別名が「瀬戸内のハワイ」。その名の通り、「ここはハワイかしら?」という雰囲気をそこかしこに感じます(ハワイ行ったこと無いけど)。

また、「みかんの島」でもあります。山口県のみかんの8、9割がこの島で生産されています。2006年の統計だと、温州みかんの生産量が全国の市町村中で27位です。

 

そんな「ハワイ」で「みかん」な周防大島の新郷土料理である「みかん鍋」。
島が誇る魚介と、島が誇るみかんが入った鍋です。

 

最初は「え?」って思いました。

香酸柑橘と魚介の組み合わせならあるあるですが、温州みかんと魚介ですからね。
しかも、ポン酢とか皮の千切りのような風味付けではなく、丸ごとぐつぐつ煮えてますからね。

正直、「話の種」的に箸を付けましたよ。
したっけ、食べてびっくり! 
美味しい!!!

 

魚介の出汁がきいた熱々のみかん、衝撃の美味さ!

 

ねこさん、何でも美味しく食べられるので、信用されないときもありますが↓

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家族も同意する美味しさでした。

 

みかん鍋、初見で「ウケ狙いか?」とか「インスタ映えか?」とか思ってスマン!

見て楽しい、食べて美味しい「みかん鍋

 

 

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今、「みかん鍋」食べたいって思ってるっしょ?
でも、残念。みかん鍋は11月~3月しかやってないんだってさ。

 

次の冬の楽しみにしてください。

 

4コマ「プロ野球と都道府県」

福岡県から隣の県へ

大分県でホークスの応援セールをやっていたのは、同じ九州だからかな? って勝手に納得してました。「ファイト九州」という九州を元気にする活動をホークスもやってますし。

 

けど、なんとなく、この球団はこの都道府県という思い込みがねこさんにはあるんですよ。

 

そういうわけで、山口県岩国市由宇町で、広島県にいるんじゃないかと錯覚してしまいました。ここには、カープ二軍の専用練習場(球場)があるんです。

あたりを見渡せば、ガードレールがミカン色なので、山口県だと確認できるんですけどね。

usayusadosa.hatenablog.com

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↑存在意義を感じる黄色いガードレール

 

おまけ

野球チームだけで「ここは〇〇県だ!」と判断するのは早計なようです。

 

 

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4コマ「吉野ヶ里遺跡公園」(6/6)~意外だったよ。吉野ヶ里

吉野ヶ里遺跡公園に行って、想像を超える物がたくさんありました。
甕棺とか甕棺とか甕棺とか。

もちろん、住居などの復元規模も、遺跡の保存方法も想像以上だったのですが、それ以外にも・・・。


吉野ヶ里遺跡公園、博多から佐賀方面へ向かうJRから見える。ずっと、アンコールワットのように忘れられた密林の中から発見されたと思い込んでいたけど(佐賀に密林は無い?)、びっくりするぐらい市街地に近い。

つまりは住むのに不便な場所では無いと言うことだよね? でも、そうなったら、やはり「何故人々はこのムラからいなくなった?」という疑問に行き着く。

 

∞∞
ゲートをくぐって園内地図を見ていたら、係のお姉さんが「バスで回りますか?」と声をかけてくれた。その時は「バス? 公園内で?」と思いましたが、バスが無いと回れない方もいるだろうなという広さ。
復元したムラだけではなく、ワークショップのできる建物や、資料館、古代の植生を意識した森や、田んぼ、畑も再現されている。梅の木には実がぶら下がっていた。こういう食べられる木も当時から生えていたのかな?

 

一番驚いたのが、「遊びの原」という遊びのスペース。

古代の雰囲気にどっぷり浸かって歩いていたら、子ども達の歓声が。
広い芝生とでかい遊具。親子連れで簡易テントのテント村ができてたよ。屋台も出てたし。

遺跡だけだったら、「一度見たからいい」となりそうだけど、こんな公園あったら、近所の子育て世代は年間パスポート買っちゃうね。

 

あ、あと、レストランというか食堂が一ヶ所だけあるんだけど、そこもちょっと驚いた。

食券買ったら、自動的に注文が厨房に行くの。食券持って、受け付けに行って半券渡さなくていいの。古代、古代・・・と来たけど、最新式券売機があるとは!

 

∞∞∞
さっき、ゲートのところで係のお姉さんに声をかけられたって書いたけど、総じてみんな親切だった。ボランティアガイドさんなのかな? ボランティアさんと思われる人たちの方から積極的に話しかけている姿をあちこちでみた。

ねこさんは、人見知り気分だったので、話しかけられない距離をとっていたけど。
でも、再訪できたらいろいろ説明を聞いてみようって思う。
やっぱり、そこにいる人にいろいろ聞く方が詳しいこと知っているし。

 

昨年は、発掘を見学できる日があったみたい。残念ながら、ねこさんが訪れた日はやってなかったんだけど。今度またあるなら、是非行きたい!

 

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いろいろ初めて見聞きした物があった吉野ヶ里で、これも初めて。

蚕。

弥生時代にもいたんだね。
白くて大きくて、のんびりしていて、もう彼らは自然界には戻れないね。

 

4コマ「吉野ヶ里遺跡公園」(5/6)~甕棺最大の謎はこれだ! ※R6.3.21追加文あり

甕棺の完成度を見ると、専門の職人がいたんじゃないかと感じます。

素人が、「今日は、雨で外の作業できんけん。中で甕棺でも作ったい(方言は想像です)」って作れるレベルとは思えない。

 

甕棺は時代だけでは無く、地域によっても特色があります。ですが、ある地域の甕棺が別の地域で発見されたこともあるそうです。そこから、「商品として」輸出された・・・つまり商品を作る「職業集団」がいたんじゃないか。という見解があります。(参考資料:国立民俗博物館「九州の甕棺」)

 

が、なんということでしょう。その甕棺のプロ集団が作業していた痕跡、甕棺工房が見つかってないということなのです!

 

前回の話で述べたように、焼き物を作るというのは時間がかかります。「来週納品ね!」って言われたって無理無理。

焼き物の特性上、作ったら100%完成するとは思えない。神の手を持っているカリスマ甕監師がいたらわからないけど。いや、無理でしょ。この頃、まだ釜が無くて野焼きだって話だし(弥生式土器は、藁と泥で蒸し焼きにしていたらしい)、焼きムラあるよね?

 

と、いうことは、当然失敗した甕棺や、途中で上手くいかなくて作るのを放棄した甕棺があるはず。なのに、令和6年3月現在、それが見つかっていない!

墓の甕棺は見つかっているのに、甕棺の墓が見つかってない!
甕棺時代200年もあるのに!
これだけ大量の甕棺が発見されているのに! 

なに、そのミステリーな話!

 

「甕棺は、お墓の中からしか見つかっていない」

この名言を聞いたとき、衝撃のあまり鼻血吹き出しそうになりました。

もう、一気に甕棺に捕らわれました。

甕棺って、謎すぎない!?

ミステリアスKA・ME・KA・NNN!!!!!

 

甕棺は弥生時代を閉じ込めたタイムカプセルと言われるようですが、情報だけでは無く、甕棺そのものの謎も一緒に埋まっているのですね。

 

さてさて、甕棺工房、今後発掘されるのでしょうか?
それとも・・・?

 

いつか、甕棺の謎が解けますように!

 

※4コマで話をおさめるため、その場で説明を聞いているように演出していますが、実際はその場で聞いていません。(R6.3.21 10:50)

 

 

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今回、吉野ヶ里遺跡の研究員さんにお話を聞くチャンスに恵まれ、甕棺についていろいろ知ることができました。感謝です。

尊敬するのが、知識量もさることながら、「科学的な証拠」があるか無いかをしっかりわけていらっしゃるところ。

自分だったら、もっともらしく辻褄があいそうな持論を意気揚々と述べてしまいそうです。

 

宇宙の仕組みを解き明かそうとする物理学者に必要なのは「妄想」だそうです。妄想力があって数学ができる人が物理学者(理論物理学というやつ?)になれるそうです。

一方、考古学者はコツコツと事実を積み上げていく力が必要だそうです。

イメージ的には、考古学者の方が夢想家な気がしますが、逆なのかも?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4コマ「吉野ヶ里遺跡公園」(4/6)~甕棺ってどうやって作ったの?(下)

粘土の塊をどんっと置いて、中を凹ませて、ぐぐぐっと手びねりで縁を立ち上げて、粘土を伸ばしながら形を整えていく・・・という作り方を想像していたねこさんです。↓

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ですが、よくよく尋ねていくと、どうも違ったようです。

 

当時の一般的な作り方は、輪積み・・・粘土を紐状にして積み上げていく方法です。

甕棺も、土台を作り、生乾きの状態になるまで待ってから改めて粘土を積み上げ、境目を馴染ませ、整え、また乾かし・・・というように何日もかけて作ったのではないかと想像されているようです。

 

お話を聞いて想像したのが4コマ目です。こんな感じ? あってる?

 

すごい手間がかかっています。手作業でこんなに大きな物を綺麗に作るって、すごいです。

木などで作った型を当て、カーブ具合を確かめながら成形したのでしょうか?

 

均一の厚みにし、美しい形に整えられても、乾燥や焼きで失敗してはどうしようもありません。

焼く前に完全に乾燥させる必要がありますが、大きければ大きいほど、均一に乾かすのが難しいです。とくに継ぎ足しながら作った場合は、継ぎ目部分で乾燥具合が違って、ひびが入ったり割れたりしやすいそうですね。大きいと乾きにくいという問題もあります。


甕棺ぐらいになると、何ヶ月ぐらい乾燥にかかるんでしょうか?
季節によってもちがうでしょうね。

底を乾かす場合は、ひっくり返したのでしょう。1人じゃ無理ですね。

乾燥が無事に済んでも、焼く時の温度の上げ方、当たり方、温度の下げ方でも割れがでることもあるようです。

 

それだけ手間がかかる物を、死者を弔うためだけに作った弥生時代の人々。
死者に対する心を感じます。

 

 

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↑ね、甕棺って、薄いっしょ。

 

ちなみに、時代もですが、地域によっても厚さが違うようです。

九州国立博物館にある復元した甕棺は1cmぐらいらしいです。
福岡県の飯塚市というところの甕棺は2cmぐらいで、厚い方らしいです。

 


次回も甕棺。

 

 

4コマ「吉野ヶ里遺跡公園」(3/6)~甕棺ってどうやって作ったの(上)

2コマ目以下はお話を聞いて想像したものです


さて、3回にわたって「甕棺の秘密」をお送り致します。

 

とにかくね、甕棺がでかいのよ。

支えの上に乗っているとはいえ、ねこさんが中を覗くのが容易でない大きさのもずらり。

 

尋ねてみたら、北墳丘墓というところで発見された「高さ139cm、口の直径101.8cm」が今のところの最大だって。

 

このでかい甕棺、どうやって作ったのか気になるよね?

だって、すっごい整った形してるんだよ。

 

「ろくろ」を使った?

けど、ろくろは古墳時代だか飛鳥時代だかに朝鮮から伝わったとか聞いたとこあるし。(飛鳥時代古墳時代の後半)
だとすると、弥生時代にろくろってないんじゃない? 無いならどうやってこんなに綺麗に作った? 型抜き?

 


「質問してみた」
Q.甕棺はろくろで作ったのですか?

 A.ろくろは使ってないと考えられます。

 

弥生時代は、現代の「ろくろの定義(回転数とかいろいろあるらしい)」に当てはまるようなろくろは無かったようです。
ただ、コマみたいな形の手回しで回転するろくろのようなものはあったのではないかと考えられているようです。

どんな形なのか知りたくてネットで検索しました。

しかし、弥生時代のは見つからない。残念。
5世紀ごろ(古墳時代)の須恵器を作るイラストに描かれている、足で蹴って回しているようなろくろが一番古い時代かな?

 

もっとも、ろくろのようなものがあったとしても、甕棺を作る量の粘土の重さには耐えられないそうです。
確かに、甕棺は巨大。1人で持ち上げられる気がしない。そうか、この重さに耐えられて回転できないとならないのか・・・難しそう。

 

なので、人間の方が周りをぐるぐる回って作ったのではないかと考えられているそうです。

人が回って、あんなに綺麗に円く整えられるもんなの?

粘土の塊をどんっと置いて、中を凹ませて、ぐぐぐっと手びねりで縁を立ち上げて、粘土を足したり伸ばしながら形を整えていくの?

すごい! 神技! 

 

え? ちょっと違う?

 

「つづく」

 

 

 

 

 

 

4コマ「吉野ヶ里遺跡公園」(2/6)~甕棺墓列


「甕棺概略」

甕棺とは、素焼きの棺桶です。
二つの甕を合わせ、粘土で合わせ目を塞ぐ「合わせ口甕棺」と、平たい石などで口を塞いだ「単棺」があります。

 

子ども用の甕棺や、大人の骨だけを改めて甕に収める再葬という形での甕棺利用は他の地域でも見られるようです。しかし、大人が余裕で入るような巨大な甕棺は、北部九州独特のとのことです。海外でも、大人用は韓国と中国の一部だけでしか発見されていないようですね。

 

このような話を聞くと、九州は独自の文化が発展していたんだなって思います。

 

吉野ヶ里遺跡では、既に三千を超える甕棺が発見されています。この丘陵全体では、一万五千を越える数の甕棺が埋まっているのではないかと予想されています。甕棺墓以外の埋葬方法も四百以上見つかっているそうです。

すごい数です。

 


「甕棺墓列」

ここの甕棺墓列ですが、およそ600mに渡り、二列になって南北方向に並んでいます。なぜ2列になっているのかは不明だそうです。
分布を細かく分析すると、20~40mごとに一塊になっており、血縁関係のある一族の集まりではないかと考えられているみたいですね。

 

小さい甕棺がたくさんありました。子どもが大人になるって奇跡のような時代だったのでしょう。この小さな甕棺を埋めざるを得なかった人の気持ちを考えると、胸が痛くなります。

 

ここは、弥生人の髪の毛が国内で発見された唯一の場所でもあります。頭骨に髪の毛がくっついていたので、当時の成人男性のヘアスタイルが「みずら(耳のあたりで束ねて巻かれた髪型)」ということが分かったようです。

また、頭の無い人骨も発見されており、争いがあったことが想像されます。

 

 


「土まんじゅう」
埋めた甕棺の上には「土まんじゅう」があります。

甕棺を埋めると、容積だけ土が余ります。それを上に盛り上げたもののようです。
やがて甕棺が割れたりなんだりして、土まんじゅうが小さくなったり、場合によっては陥没したりするようです。

 

吉野ヶ里遺跡では、甕棺が埋められていた様子だけではなく、土まんじゅうも復元されていました。
そうか、ああやって土まんじゅうが並んでいたんだ・・・・と眺めている足元をよく見ると盛り上がってる・・・? しかも一つ二つでは無い盛り上がりが芝生のあちこちに・・・。
え!? ねこさん、墓列の上に立ってる!?

 

この芝生の盛り上がりは、たまたま地面が盛り上がっているのか、土まんじゅうの復元なのか気になって、吉野ヶ里遺跡公園の研究者の方に尋ねてみました。
※現場で「この下どうなってんの?」と尋ねたわけではないので、聞き間違いがあったらごめんなさいです。

 

すると、「芝生の下にまだ埋まってます」というお返事が・・・!

 

3コマ目の復元された土まんじゅうの下は掘り起こしているらしいです。

しかし、4コマ目の芝生の下から発見された墓列全てを彫り上げたわけではないみたい。
埋め戻して、この下に甕棺あるよというポイントとして土を盛っているようなんです。

 

て、ことは、ねこさんが立っていた芝生の下にもまだ甕棺が眠っている可能性高い!?

 

さらに、4コマ目のねこさんのずっと後方、木々に近い方は、遺跡保存のため、発掘を行わず、地中レーダー探査で甕棺の位置を調査をしただけのようです。

掘り起こしたら劣化が進むので、後世の為に残しているとのことでした。

 

吉野ヶ里遺跡は、「掘り起こしちゃってレプリカばかり」ではなく、「まだそこに本物が眠っている」遺跡なのです。

 

↑甕棺墓列をアップして見ると、集合体恐怖症の方は「うおおお(;゚ロ゚)」ってなるかも?

∞∞∞

甕棺についていろいろ教えていただきました。
もう、頭の中は甕棺だらけです。
それで、次回から3回は甕棺の話~。